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映画『カミノフデ』村瀬継蔵 総監督 追悼上映 開催!
特撮怪獣映画『カミノフデ』の総監督、村瀬継蔵(享年89歳)が昨年10月に逝去したことを偲び、2月11日(火)映画のまち調布 シネマフェスティバルにて追悼上映が開催された。上映後の舞台挨拶では現在、映画造形界の一線で活躍している(写真左から)若狭新一(64)、三池敏夫(63)、原口智生(64)らが登壇。村瀬継蔵も写真から見守りつつ、村瀬継蔵という造形家について、そして本作の魅力について語りつくした。
それぞれの村瀬継蔵との出会いについて聞くと、若狭は「村瀬さんの作業場が府中にあって、当時の師匠と一緒に挨拶にいったのが始まり」とのこと。三池は「1991年の『ゴジラVSキングギドラ』や翌年の『ゴジラVSモスラ』の時に、村瀬さんが怪獣造形を手掛けていらっしゃって、自分は操演をやっていた」と語る。村瀬のことを“村瀬のパパ“と呼び慕う原口は「自分が5~6歳の時から東宝の撮影所に見学に行っていて、ある日外注で納品されてきた怪獣を持ってきたのが村瀬のパパたちだった。東宝の中だけで作っているわけじゃないんだなと思った」と意識した時のことを語った。
村瀬継蔵が作る造形物について若狭は「映画ならではの2~3か月掛かる作り方ではなくて、テレビサイズの1週間で作ることができる怪獣や怪人の造形を開発されたのが村瀬さんなんです」「日本の映像関係の造形技術の大半は、村瀬さんが教えてくれたものが今でも現場のベーシックなんです」と技術が今でも現場で根付いている様子を伝えた。三池は「村瀬さんが新素材を見つけてくるというところで力を発揮された」と発砲ウレタンの素材や透明なホースを背びれにしたりなどのエピソードを披露した。「どんなものが開発されているか色々な会社にリサーチしたり、工場に見に行ったりしていたらしい」と研究熱心な一面を語った。原口は「自分が子供だった頃に出来上がった造形を見て、とても丁寧で綺麗で仕上がってるって勝手に感じていた」と、自身の第一印象を語る。「材料とか新しいものを積極的に探したり、アイディアマンだったと思うんですよ」としみじみ。「怪獣が暴れると壊れてしまうから固い素材で作ると都合が悪いという時に、偶然水をホースで巻いているおばちゃんを見て、割れたり折れたりしない透明なビニールホースを使うのを思いついたんだ、と聞いたことがあります」と村瀬本人談を披露した。
村瀬さんの仕事に対する姿勢について聞くと、若狭は先輩から聞いた話ですがと口を開き、「助手さんが作ったものでも、仕上がりが気に入らないと壊してしまって、全部自分で作り直していたらしいです。村瀬さんの怪獣が特別綺麗に見えるのは、それだけ村瀬さんの美意識が強かったからじゃないかな」と先に原口が語っていた村瀬怪獣の綺麗さについて同意した。原口は「仕事に対してとても積極的で、楽しそう。そういうところに人間的な魅力があった」と懐かしんだ。
本作『カミノフデ』について、怪魔人の造形を担当した若狭は「村瀬さんが神様になったらどうなるかと考え、形にしたのがあの姿です」とコンセプトを語る。「村瀬さんらしい作品ができたなと思う」と本編を見ての感想を語った。
三池は撮影現場を見学しており、「特撮の現場って根気がいると思うのですけども、ずっと立ち会っていらっしゃいました。福島県須賀川での特撮パートの撮影では、地元の子供たちにヤマタノオロチの首を動かすように教えていてご機嫌でしたね」と現場での様子を懐古。「ミニチュア特撮が有効に入ってて、ここまでの画が撮れるんだとびっくりした」と、アナログの良さが生きた作品だと語った。
原口は本作の製作前に村瀬から「どうしても自分が香港(のショウ・ブラザーズの撮影所)で考えていたこの企画を生きている内に撮りたいと。資金やスタッフを集めるところから、どうやって映画を作ったのかと聞かれましたね」と相談を受けたことを明らかに。「生前に映画が完成して、皆さんに観ていただけたというのが自分としてはほっとしました」と表情を緩めた。「この映画を観れば “村瀬のパパ“のことをいつでも思い出せると思うので、これからも大事にしていけたら」と、本日集まった特撮ファンたちに呼びかけてイベントを締めくくった。